2004年 11月26日 (Fri)
■引越し
なかなか忙しくて調整などに時間がかかった。tdiaryを使って、CSSを多少カスタマイズ。使いやすいけどもかなり遅いので、もうすこし鯖の設定をいじる必要があるみたい。
引越し先 → http://www.cmt.phys.kyushu-u.ac.jp/~M.Sakurai/cgi-bin/tdiary/
2004年 11月7日 (Sun)
近所に泥棒が侵入したらしい。あと、某オムライスの内容を一部「消去」。
■ハードディスクの故障
先週からWebサーバがハードディスクのトラブルのために止まっていた。復旧はその週のうちにある程度できていたらしいのだけども、時間が無くて自分のディレクトリを復旧する余裕が無かった。今のサーバはPHPやRubyもいけるようなので、全部wikiみたいにして、日記もtdiaryに移行しようと考え中。ぼちぼち、九大からいなくなったときのことも考えなければいけない。
季節の変わり目のせいか、近所でもハードディスクの故障が頻発している。この2週間のうちに、Webサーバの件とは別にハードディスク関係のトラブルを3回くらい経験した。これらはバックアップがあったり、たいしたデータが入っていなかったため、復旧の労力のみで済んだ。しかし、重要なデータが入っていながらバックアップが取れていない機械もあるので、早めにバックアップ体制を整えないとまた痛い目にあってしまう。
2004年 10月30日 (Sat)
■九大Webメール
九大の学部生には標準でメールアドレスが付いてくる。昔はログインしてmnewsなどで読んでいたのだけど、最近の学生は日立のGraceMailというWebメールものを使っているらしい。現在の最新バージョンは5らしいけども、九大に入っているものは 2.0 Rev.45 と、かなり古そう。最新のソフトを確認せずに古いバージョンに文句をつけるのはフェアではないけども、以下の問題はGraceMail2.0だけの問題とはいえないので、ひとつの例題として議論してみる。
まず九大側の問題として、GraceMail鯖の鯖証明が自己証明になっているのが良くなさそう。途中経路が一応暗号化されるとはいえ、接続先の確認が出来ないため結局安心して使えない。さらに一番良くないのが、「何か確認が出てもとりあえずOKを押せばよい」というだめな教育をしてしまっていること。おそらく九大生は簡単にフィッシング詐欺で釣れることが予想される。地方で予算が削減されて、おまけに移転の費用がかさんでお金が無いのは分かるけども、鯖証明も買えないとは思えない。ちなみに、同じ画面から行ける別会社のパスワード変更ツールはちゃんと鯖証明をしていた。
次は、Content-type が text/plain になってしまっているため、IE以外ではまともに使えない。最近の開発者の傾向を端的に表しているともいえる。このあたりで、このメールソフトの〜が大体分かってくる。多分、自分だったら使わない。
最後は、返信メールに References: フィールドが無いのでスレッドが切れてしまう。上の問題から、このあたりは仕方がないのかもしれない。このソフトを使っている人がMLに一人でもいるとスレッドが切れまくるので他人にも迷惑がかかる。というか、個人的には今これに一番困っている。
2004年 10月28日 (Thu)
いろいろあったり、風邪をひいて寝込んでしまって空白の2週間。
現在は山のようにたまった仕事を片付けながら、日常生活へ戻れるようにリハビリ中。
某オムラスの内容を修正。
■良い写真
最近わけあって、過去の写真を見返す機会が多い。ある時点から急速にデジカメの比率が多くなり、写真の雰囲気が変わってきた。
やっぱりフィルムで撮ったときの写真は、枚数のことをよく考えて撮っているので、1枚1枚がかなり重要な場面を捕らえているし、写真のぶれも少ない。ただし、枚数が少ない分、写真と写真の途中が長いので、活動の内容を追っていくような流れを記録するのには弱いみたい。
一方、デジカメは枚数の制限が少ない分、活動の流れを細かく記録することが出来る。ただし、流れで見せる分、1枚の写真として独立できるような写真は少ない。
知り合いの芸術家は「一眼であろうがレンズ付フィルムであろうが関係ない。問題は腕。」と言っていて、実際に自分もそう思った。ただし、「腕」の中にはもちろん撮ろうとしているカメラの特性をちゃんと分かっているということも入っている。
森山和道の「ヒトと機械の境界面」〜富士フイルムが模索する写真の未来(@impress)に触発されて、いろいろと思うことがあった。やっぱりカメラは深い。
2004年 10月15日 (Fri)
■気持ちの整理
先週末、某所で不慮の事故があり、7年間一緒に戦ってきた後輩であり友人であったメンバーが亡くなった。事故当時は、丸3日くらい事務局に張り付いて対応に追われていて、感傷にひたる余裕など無かった。
葬儀が終わり、落ち着いてきた今頃になって、いなくなったメンバーの重大さを実感するようになった。日常生活に戻ろうとしても、なかなか仕事に集中できない。大丈夫だと思って研究室に来てはみたものの、取り乱してしまって同室のT先生を困らせてしまったことは秘密だ。現場にいたメンバーの方はもっと深刻で、1人でいると「〜すれば助かったのではないか」という無限ループにはまったり、中にはショックが大きすぎて〜な状況の人もいる。
後遺症として残さないケアは必要だし、未来のある若い人たちにはトラウマになってほしくない。一方、「あれは〜であった」「あの状況では〜しか出来なかった」と気持ちを単純に整理することは可能ではあるけども、自分にとってはそんなことで綺麗に整理できるほど簡単な問題ではない。不慮の事故であったとしても、今の痛い気持ちをそのまま残して今後の活動に生かし、彼の死を一生背負っていかなければならない。